【第4回】すぐに使える対人術/対人哲学1/ゲーム理論
世の中には人間社会の仕組みをゲームとして捉え、最大の利益を得るためにはどのような戦略を執るのが最適なのか。ということを考える人がいます。
有名な例を挙げると、「囚人のジレンマ」というものがあります。
ある事件で犯人が二人が捕まって、囚人として取り調べを別々に受けている状況です。取り調べに対して、この二人の囚人がどのような対応を取るかによって刑の重さが変わります。
l 二人とも自供しない → 二人とも無罪放免
l 片方が自白、もう一方は黙秘 → 自白した方は減刑・黙秘した方は重罪
l 二人とも自白 → 二人とも重罪
お互いの取り調べ内容は分からないまま、黙秘し続けるべきか、先にしゃべって軽い罰で済ませるかというジレンマを扱ったゲームです。
この例において最適な戦略の一つとして、しっぺ返し戦略が考えられています。二回目以降の選択で、前回相手が自供したなら、自分も自供する。相手が黙秘なら、自分も黙秘。というように、相手の出方に合わせて自分の選択を合わせる戦略です。この場合、一方的に負けることが無く、最終的には最大の利益を得られると考えられています。
この戦略が本当に最適なのかどうかはともかく、これを実際に社会で応用できるのかどうか、特に、対人関係に使ってみたらどうなるかを考えてみましょう。
先に述べたように、世の中にはこのようなゲーム的思考を基にして行動しようとする人がいます。ですが、結論から言えば、現実においてはゲーム理論を完全に適用することはできません。社会は確かにゲームのように一定のルールに従った動きをしていますが、人間は必ずしも理論的には動きません。また、社会は複数の集団や機構から成り立っており、あらかじめ考えられた条件範囲内で全てが完結することは有り得ないからです。
人間に限らず、生き物は一度でも嫌な思いや危ない経験をすると、その原因を避けるようになります。毒を持つ生き物が目立つ色をしているのは、毒を持つ事を知らせて襲われないようにするためです。逆に言えば、他の生き物は、その目立つ色に毒があるという意味を認識していることになります。
一度でも嫌な思いをすると、生き物はずっとそれを覚えています。人間も例外ではありません。記憶として残っていなくても、感覚や無意識の反応として必ず避ける行動を起こします。
人間には理性がありますから、次は違うかもしれない。とか、やり方を変えてみたら上手く行くかもしれないなどと考えることができます。
しかし、人間関係においては、一度でも嫌な思いをした場合、たとえ表面上は理性的でも、その後ずっと嫌な思いをさせられた相手という事実が付いて回ります。
なぜなら、人間は集団で活動し、共同・共生しながら生活を営んでいるからです。誰が信用できるのかを判断する材料として、過去の振る舞いは極めて重い判断要素です。ほぼ永遠に印象として残るだけでなく、同じ集団内の他の人にその情報と判断が伝えられて共有されることもよくあります。
ゲームでは何度繰り返しても条件は同じままですが、現実ではそのルールを取り巻く環境自体が少しずつ、プレイヤーの行動によって変わります。人との関係性が希薄な職種を除いては、ゲーム理論の考え方はまず通用しません。人間社会は人と人とのつながりや信頼関係に大きな比重を置いており、ゲーム感覚で人と関わっていると最初は上手く行くかもしれませんが、いずれ周囲からの協力が得られなくなったり、表面上だけの関係性になって社会的に孤立させられます。
人からの信頼は命より重いと覚えておいてください。一人で自給自足して生きて行けるなら別ですが、人間社会は人でできています。命があっても社会で活動できなければ生き残ることはできません。
このような状況を避けるためには、基本的に人に対しては協力的に対応することを提案します。
もちろん、途中で何か自分に不利益がありそうだと思ったら協力を止めて構いません。世の中には利己的な考えで動く人もたくさんいますので、ただの善人になることはお勧めしません。
大抵の場合、利己的にさえならなければ、自分の無理のない範囲で周囲との調和を取ることは容易に可能なはずです。自分が無害であることが分かれば、その場になじむ許可を得ることは決して難しくはないからです。
<まとめ>
l ゲーム理論を現実世界に完全に適用することはできない。
l 利己的な戦略は社会的に容認されない。
l 基本的には、人と協力する態度を表すのが望ましい
謹告
この文章は著者の主観に基づく考察が多分に含まれます。内容を実行して何らかの不利益を被った場合においても、その責任は一切負いかねますのでご了承ください。